アラブ映画祭で、現存する最古のイラク映画だという『アリアとイサーム』(1948年、
アンドレ・シャターン監督)。画質の悪いビデオ版での上映だったが、雰囲気はわかるし、音声は意外なまでにクリアだった。
恋人同士が、親の決めた
結婚で引き裂かれそうになり、そこへ復讐譚がからみ、最後は主人公カップルが自殺を遂げるという典型的なメロドラマだが、自殺の動機が「復讐の連鎖を断ち切るため」となっているところが興味深い。
『異邦のトウモロコシ』(2001年、カーシム・アビド監督)は、イラクから亡命して
イタリアや
フランスで生活する芸術家たちを紹介するドキュメンタリー。多重化されたアイデンティティ(例えばクルド人芸術家の場合は、民族、祖国、現住地と、少なくとも3つのアイデンティティを持つことになる)、厳しい生活、故国への想いなど、ありふれた切り口で表面をなぞるシナリオには何の感銘も受けないが、登場する実作品に印象的なものが多い。西欧の
モダンアートの手で、イラク的なものを前面に押し出す作品は少ないのだが、強い情念の存在を感じさせる作品が少なからずある。しかし、その創作の根源に迫り、作品を深いところから紹介するだけの力量が監督らにはなかったようだ。
シナリオの駄目さは、例えば、「ソ連で社会主義リアリズムを学び、現在も実践している」というような趣旨のナレーションが流れるときに映し出される絵が、明らかにシャガールの絵に構図を借りている作品だったりするところに現れている。あるいは、「祖国に強い想いを寄せる芸術家もいる」というようなナレーションで登場するのは、イラクの故郷の村の風景をモチーフに描き続けている画家。題材の
選び方を祖国への想いの強弱に
ストレートに結びつける発想の単純明快さにも、腰が抜けるほど驚いた。これでは、亡命者の屈折など描きようもない。
『葦の詩人』(1999年、ムハンマド・タウフィーク監督)は、アラビア語書道家で詩人のムハンマド・サイード・サッカールとその作品世界を紹介するドキュメンタリー。葦のペンで創り出されるアラビア語
書道は、日本の書道の概念とはまったく異なる世界で興味深い。
会場のロビーにも、アラビア語書道の作品が数点展示されていた。日本では、書道(calligraphy)ではなくタイポグラフィーで取り組まれている世界と言えるかもしれない。